たいへいようせんそう おわ ことし ねんめ ねん
アジア・太平洋戦争が終わって今年で63年目です(2008年)
ぶんしょう か たいしょくじょせいきょうしょくいん みやぎしらはぎ かい かいいん せんそう ころ
この文章を書いたのは、退職女性教職員宮城白萩の会の会員で、戦争の頃に
しょうがっこうこうがくねん じょがっこう ねんせい いま こうこう ねんせい うえ がっこう しはん
は小学校高学年から女学校4年生(今の高校1年生)、さらにその上の学校(師範
がっこう せいと しはんがっこう そつぎょう きょうし ひと
学校など)の生徒、さらに師範学校を卒業して教師になったばかりの人などでした。
たいけん じゅう も たたか
ですからその体験は、銃を持って戦いをしたというものではありません。
せんそう おんな こ いえ すみずみ いぬ
しかし戦争というものは、女も子どもも、家の隅々まで、(かわいがってる犬さえ
ちょくせつせんそう ひがいしゃ し わ おも
も)直接戦争の被害者になることを強いられることがよく分かると思います。
せんそう とお せんじょう わたし す むら
戦争は、遠い戦場にだけあったのではなく、いま、私たちの住んでいるこの村に
まち せんそう
も町にも戦争はあったのです。
せんそうたいけん し し ひじんどうてき きずぐち おお し
戦争体験は、知れば知るほど、その非人道的な傷口の大きさを知らされます。
せんご ねん かいがいはへい くに じえいたい は
戦後60年、海外派兵ということのなかったわが国が、ついにイラクへ自衛隊の派
へい おこな ご ひび かくち せんとうじょうたい はげ
兵を行うようになりました。その後イラクでは、日々、各地で戦闘状態が激しくなっ
よわ たちば しみん じょせい こ ひさん め
ていて、弱い立場の市民や女性、子どもたちが悲惨な目にあっています。
とき わたし せんそうたいけん ふうか せんそう し
こういう時だからこそ私たちは、戦争体験を風化させることなく、戦争を知らない
わか とう かあ せんせい こ かた つた
若いお父さんお母さん、先生に、いや子どもたちに語り伝えなければならないと
おも
思います。
せんそう わたし いのち ね へいわ
戦争は、私たちみんなの命もくらしも根こそぎこわすものであることを。平和が
こうふく
なければ、ひとりひとりの幸福もないことを。
わたし せんそう いくぶん し
これが、私たち、戦争を幾分でも知っているものたちができることなのです。
おし ご せんじょう ちか
そして「教え子をふたたび戦場におくらない」と誓っ
す わたし おも
て過ごしてきた私たちのなすべきことであると思い、
ほん しゅっぱん
この本を出版することにいたしました。
せかいじゅう せんそう ひ いちにち く
世界中から戦争がなくなる日が、一日もはやく来る
せつ ねが
ことを切に願いながら。