がっしょうくみきょく まご たいしょくじょせいきょうしょくいん かい みやぎしらはぎ
合唱組曲「おばあちゃんから孫たちへ」は、退職女性教職員の会 宮城白萩
かいちゅうおうしぶ はっこう せんそうたいけんき まご つく
の会中央支部が発行した戦争体験記「おばあさんから孫たちへ」をもとに作ら
がっしょうくみきょく
れた合唱組曲です。
ほん しゅうろく たいけんき ぶんしょう みやぎ きょうぎかい こばやし
本に収録されている体験記の文章をもとに、宮城うたごえ協議会が小林
やすひろし へんし さっきょく いらい がっしょうくみきょく たんじょう
康浩氏に編詩・作曲を依頼し、合唱組曲として誕生しました。
せいかつ はかい こうふく ね うば せんそう ど く かえ
「生活を破壊し、幸福を根こそぎ奪う戦争は二度と繰り返してはいけない」
たいけんしゃ へいわ おも ねが こころ ひび うたごえ せんそう し
この体験者の平和への思い・願いが、心に響く歌声によって、戦争を知ら
せだい ひろ ねが
ない世代にも広がることを願っています。
もくじ
目次
ねん ぜんきょくしょえん
(1)2006年、全曲初演
はってん げんざい
(2)発展、そして現在
まご げんぶんさくしゃ
(3)おばあさんから孫たちへ」原文作者からのメッセージ
ほん がっしょうきょく
「この本、合唱曲にしたいね」
がっしょうだん まご ほん はじ て とき
合唱団のメンバーが、「おばあさんから孫たちへ」の本を初めて手にした時、
おも
思わずこうつぶやいたそうです。
ねんはんご ねん がつ ひ せんだいしせいねんぶんか かいさい
それから1年半後の2006年12月2日、仙台市青年文化センターで開催された
みやぎ おんがくかい
「2006宮城のうたごえフェスティバルPART2 みんなでつくる音楽会」で、
まご しょえん むか
「おばあちゃんから孫たちへ」は初演を迎えること
ができました。
た にん がっしょうだんいん ひろ
ステージに立った257人の合唱団員は、広く
とうほくかくち つど ちいき しょくば がっしょうだん
東北各地から集い、地域や職場の合唱団
だんち ねんれいせいべつ
から団地のコーラスグループまで、年齢性別
と はばひろ そう こうせい
問わず幅広い層で構成されました。
かいじょう まんいん かんしゅう しゅつえんしゃ ねっき つつ へいわ ねが
会場は、満員の観衆と出演者の熱気に包まれ、平和を願う
おも こ うたごえ かんどう とも さんかしゃ むね ひび
想いが込められた歌声は、感動と共に参加者の胸に響きわたりました。
まご だいめい げんさくめい
ちなみに、「おばあちゃんから孫たちへ」という題名は、原作名の
まご みぢか した
「おばあさんから孫たちへ」をより身近で親しみやすいものにするために、
みやぎ きょうぎかい こばやしし ちゅうおうしぶ もう い しょうだく
宮城うたごえ協議会と小林氏が中央支部に申し入れ、承諾されたものです。
きょくめい
曲名 |
まご げんぶんさくしゃ
「おばあさんから孫たちへ」原文作者 |
|
---|---|---|
1 | はなし
「おばあちゃんの話」 |
ほさくし こばやし やすひろ
(補作詞 小林康浩) |
2 | しょうじょじだい
「糧飯(かてめし)・あとつぎ・少女時代」 |
いずみ ひらの すえこ
和泉いつ、平野末子 |
3 | ちゅうもん じゅしんき だい
「注文は、受信機だけ五百台」 |
たかさわ けいい
高澤計以 |
4 | てつ あぶら
「鉄と油と」 |
ほんごう こ さとう こ
本郷きみ子、佐藤スミ子 |
5 | せかい いちばんさとう す
「世界で一番砂糖が好き」 |
たかさわ けいい みうら みちこ さいとう こ
高澤計以、三浦美智子、斉藤ゆゑ子、 やまがた こ ひらの すえこ よこお うめこ 山形よね子、平野末子、横尾梅子 |
6 | くうしゅう
「空襲で」 |
よこお うめこ
横尾梅子 |
7 | しゅうせん
「樺太(からふと)で終戦」 |
おいかわ しょうこ
及川昭子 |
8 | しゅうきょく にんげん
終曲 「人間だから」 |
ほさくし こばやし やすひろ
(補作詞 小林康浩) |
がっしょう
合 唱 |
まご がっしょうだん
「おばあちゃんから孫たちへ」をうたう合唱団 |
---|---|
し き
指 揮 |
こばやし やすひろ
小林 康浩 |
ピアノ | うえの かすみ
上野 華純 |
もよう がっしょうくみきょく まご
※この模様は、CD「合唱組曲 おばあちゃんから孫たちへ」
しゅうろく はんばい かかく まい えん
に収録され、販売しています。 (価格 1枚 1,000円)
まご がっしょうくみきょく
おばあちゃんから孫たちへ 合唱組曲
がっしょうくみきょく しゅうきょく にんげん
☆合唱組曲 終曲 「人間だから」
えんそう き こと でき
こちらのページで、コンピューターによる演奏(MIDI)を聞く事が出来ます。
かし の
歌詞も載っています。↓↓
うたごえきっさ さま さくせい
ningendakara phpバージョン (ヴァーチャル歌声喫茶「のび」様の作成したページです)
がっしょうくみきょく まご うた こ へいわ おも
合唱組曲「おばあちゃんから孫たちへ」は、歌に込められた平和への想いに
きょうかん ひとびと さまざま ひろ み
共感する人々によって、様々な拡がりを見せています
みやぎしらはぎ かい けっせい しゅうねん まご
宮城白萩の会では、結成40周年をきっかけに、「おばあちゃんから孫たちへ
しらはぎばん さくせい こばやしやすひろし いらい まご
白萩版」の作成を小林康浩氏に依頼しました。「おばあさんから孫たちへ」から
あら はなし えら じょせい うた こうせい へんし さっきょく いただ
新たに3つの話を選び、女声だけで歌えるような構成で、編詩・作曲して頂きま
かんせい
した。(完成 08.5.30)
いりょう じゅうじ かた しゅき こばやしし へんし さっきょく いらい
また、医療に従事する方の手記をもとに小林氏に編詩・作曲を依頼した
いりょうへん ねん がつ かんせい がつ ひ しょえん むか
「医療編」が2008年6月に完成し、8月30日に初演を迎えています。
みやぎ きょうぎかい かめい かくがっしょうだん まご
宮城うたごえ協議会に加盟する各合唱団では、「おばあちゃんから孫たちへ」
さまざま えんそう
を様々なイベントで演奏しています。
とも まご せんそう かた つた おも みなおな
共に、孫たちに戦争を語り伝えたいという思いは皆同じです。
ねんまえ い ざま
六十年前の生き様がよみがえる。
ひつう さけ
悲痛な叫び、
おとな こ はたら つづ
大人も子どももただがむしゃらに働き続けてきた。
おも はら そこ うた
その思いを腹の底から歌い、
せかいへいわ わかもの こうせ かた つ
世界平和をいまの若者に、後世に語り継ぎ、
わかりあえるまで
て うた つづ
手をとりあって歌い続けよう
へいわ くら しあわ せんそうたいけん かた つ
「平和に暮らせる幸せは、戦争体験を語り継ぐことにある」
おも しゅっぱん まご ほん
と思い、出版した「おばあさんから孫たちへ」の本。
よ りかい うた
これを読んで理解することもできますが、それを歌にして
くだ かんげき
下さったことに感激しました。
ぶんしょう うた え しゃしん とくい ぶんや
文章で、歌で、絵で、写真で、それぞれの得意な分野で
へいわ かた つ おも
平和を語り継がなければならないと思います。
うた ちから かくち うた なが
歌には力があります。各地で歌い、テレビ、ラジオに流れ
うた つ いの
て歌い継がれるよう祈るものです。
せんそうたいけん ふうか かた わたし
「戦争体験を風化させないように語りつがねば」との私たち
おも つう
の思いが みんなに通じたのかと。
きたちょうせん かくじっけん こ わか ひと
「北朝鮮の核実験」いま子どもたちは、若い人たちはどうと
らえているのだろうか。
とき きょく くみきょく ぶん
そんな時に8曲もの組曲ができるなんて。文からだけでなく
きょく がっしょう ひび つよ こころ ど せんそう
曲から合唱の響きが強く心にやきついて「二度と戦争をして
こころ おもい
はいけない」と・・・。心にきざみこむと想います。
へいわ おも いま わたし かた おも
平和と想いたい今、私も「語りついでいきたい」と想っています。
ちち ぶじ かえ き からふと しあわ なに
父は無事帰って来たけど、樺太での「幸せ」は何もついて
ひび くる くる
きませんでした。それからの日々は、苦しみ、がまん、苦し
れんぞく
み、がまんの連続でした。
いっしょうけんめいい つづ ひとびと しあわ うば せんそう
一生懸命生き続けた人々から幸せを奪ったのは戦争です。
せんそう ひれつ ざんぎゃく
戦争ほど卑劣で残虐なものはありません。
せんそう ど せんそう おおごえ さけ
「戦争はこわい!二度と戦争をしないで!」と大声で叫び
つづ わたし さけ うた うた
続けたい。その私の叫びが歌になりました。この歌がいつい
うた つ へいわ みち ねん
つまでも歌い継がれ、平和への道しるべになりますよう念じて
います。
さけ うた こばやしせんせい かんしゃ
(叫びを歌にしてくださった小林先生に感謝)
せんそう てつ ひつよう
戦争するには鉄が必要だ?
せんそう あぶら ひつよう
戦争するには油が必要だ?
なに い
何を言っているのだ。
いっぺん てつ いってき あぶら
一片の鉄も一滴の油も
せんそう ため
戦争の為にあるのではない!
せんそう おろ うた
戦争の愚かさを歌う
わたし せんそう もの
私は、あの戦争をしてきた者として
つうこん ねん
痛恨の念にかられる。
どうこく
慟哭する。
じゅしんき わたし と
「どうして受信機だけなの?」との私の問いに
ひみつ とっこうたい も い
「秘密だけどな、特攻隊が持って行くんだ」と
こた かかりちょう こえ いま みみ のこ
答えてくれる係長の声が今も耳に残っているようです。
だれ い なまり おも かか
誰にも言えない、鉛のような重いものを抱えて、ほとんど
い わたし しゅうせん ひ す
ものも言わず、私は終戦の日までを過ごしました。
いまおも ぐんちょくぞく こうじょう ほんとう こえ き
(今思うと軍直属の工場でなかったから本当の声が聞か
じだい い
れたのでしょう。あの時代によく言ってくださったものだと
おも
思います。)
がっしょうくみきょく わたし ぶんしょう なか と
合唱組曲に私の文章の中のことばを取りあげていただき、
うれ うえ
嬉しさこの上もありません。
おそ せんそう は くい た
恐ろしい戦争に歯を食いしばって堪えたことをわかってく
ひと
れる人がふえるでしょう。
がっしょうくみきょく まご かつどう ようす
◆合唱組曲「おばあちゃんから孫たちへ」の活動の様子はこちらをクリック↓
がっしょうくみきょく まご かつどうにっき
合唱組曲「おばあちゃんから孫たちへ」活動日記